僕の話 第5回 〜華の大学生?!〜

こんにちは。カンタービレです。

僕の話第5回、大学生編です。

現在進行形で大学生(4年)ですが、今日に至るまでいろいろなことがありました。

カミングアウト。カウンセリング。躁鬱。自殺願望。

僕が僕を認め受け入れる最終章です。笑

 

華の大学生!?

大学生になり、田舎から東京に通学するようになります。

お金の関係で一人暮らしはせず、片道2時間の通学。

この長い通学も後々僕のメンタルに支障をきたすとになります。

高校ではいわゆるスタートダッシュがきれなかったので、大学では少しでも良いスタートが切れるよう万全の準備で大学に望みました。

しかし、いざ同じ学科の人と会うと緊張緊張。

なんとか近くの人に声をかけて、少しずつ体を慣らしていきます。

そして、なんとか複数人とお話ができる関係になりました。

その日の帰りはめちゃくちゃ嬉しくて、るんるんでした笑

しかし、時間が経っていくと、やっぱり男とはつくづく合わないと実感してしまいます。話が全然合わないし、ちょっと意識しちゃうし。

どんどん、会うのが疲れてきてしまいました。

少しずつ少しずつ、距離が離れていくのを感じていました。僕からも離れてるし相手も離れているんだろうなと。

ある時、もう吹っ切れてしまいました。

大学は友達がいなくてもいいやと。地元には仲のいい友達がいっぱいいるし。

そうして、もう無理に友達作りや友好関係の維持に力を割くことは無くなりました。

大学ではぼっちに近しくなってしまったけど、友達を意識している頃よりずいぶん楽になりました。

ぼっち大学生の誕生です。(おめでとう!?)

 

※次の話では鬱と自殺願望について触れています。

カミングアウトと躁鬱

C子ちゃんにカミングアウトをし、カミングアウトの重要性(カミングアウトはそれぞれのタイミングでするものであり、カミングアウトをしなければいけないということは絶対にないです)を認識した僕は、他の人にもカミングアウトをして、自分を知ってもらいたい欲に駆られました。そして自分が楽になりたかった。

ただ、カミングアウトをする側は気持ちよくなれるけど、それを受けた側は混乱や戸惑い、嫌悪感など迷惑になることがあることも重々承知していました。もともと人に迷惑はかけたくない人間なので、非常にカミングアウトをすることは悩みました。(高校の時のカミングアウトは極限状態の中行ったのでそのような配慮が欠けていたと、反省しています。)

しかし、偽りの自分でい続けることはやはりとてつもない気力体力精神力を使うわけで、めちゃくちゃ仲のいい子には言うべきだと思いました。

そして、地元の高校の吹部で仲の良かったN子ちゃんにカミングアウトすることを決めます。

彼女の車の中で言おうと決断しました。

しかし、今考えると車の中という密室で相手が逃げられないような状況でカミングアウトをすると言うのは相手の精神衛生上良くなかったと反省しています。(この過ちは繰り返すのですが)

一回カミングアウトは成功してるし、100%気の許せる相手だったので、高校の時よりかはスムーズに「ゲイ」と言えるだろうと思っていました。

しかし、現実は違いました。

高校の時と全く一緒。

喉がしっかり閉じて、絶対に言ってやるものかと言う喉の硬い決意が感じられるほどには、何も言えなかったです。

そして、また長い時間相手を待たせことになるのです…

しかし、今回は前回の経験もあり、多少は早く言えました。

「ゲイ」と言う言葉は言えなかったけど。

彼女は、そうなんだと言ってくれました。

その後、僕を理解してくれようと色々な質問をしてくれました。

理解しようという気持ちが伝わってきて嬉しかったのを覚えています。

 

しかし、カミングアウトというのはしたらした分だけ、強制的に自分と向き合わされます。高校の時も実はそうでした。

言っちゃったけど、君は自分を認めてるんだよね?と心の中の僕が尋ねてきます。

高校の時はそんなことよりも言えたことによる満足感が勝り、あまり気にしていませんでしたが、今回は違いました。

言えたことは嬉しかったけど、自分が自分を認められていないことに改めて気付かされてしまい、また悩みが復活することになるのです。

鬱の再来です。

しかし、当時とは違い、いきなりなんとかなる!と強気になったり、急にもう死んだ方が世界のためだ。と気持ちの振り幅が大きくなってしまいました。

この極端な精神状態が僕を蝕んでいきます。

鬱状態です。(診断はされてないけどそうだったんだろうなと思う)

しかも、学校に通うためには電車に乗るわけで、高校の時よりもより命を落とす方法にバリエージョンが増えてしまい、鬱状態の時は「今飛び込めば」なんてよく思っていました。

電車は色々な意味で辛いものとなりました。

電車には色々な人が乗っています。

もちろんかっこいい人も。好みの男性もそりゃいます。

しかし、そのような人を目で追ってしまっていると、急に何をやっているんだと正気に戻り、強い自己嫌悪に襲われます。気持ち悪いと。

しかし、目は男の人を追います。もう気持ちと体が乖離してしまっているような。

また、長い通学時間は自分と向き合う時間にもなり得ます。

無駄に、自分の人生について考えてしまい自分の存在意義などがわからなくなったりよくしたものです。

そうなってくると、電車に乗りたくない。学校に行きたくない。休む。

となるわけです。

高校と違い休む時も連絡なんてしなくていい。

それが、休みを加速させることになります。自己嫌悪も比例して加速します。

高校の時の辛い思い出も蘇り、睡眠障害も再発。

さすがに、もう耐えられないと思い親に内緒でカウンセリングに行くことにしました。

僕が生きていい理由を尋ねに。(せいしゅ…)

 

 

カウンセリングと新宿御苑

さて、カウンセリングを受けるとなれば、その場所を探さなければ。

まず、大学のカウンセリングはどうか。

何よりも無料!!!!これはデカかった。

しかし、学校で受けると言うのは抵抗があった。

実は高校の時休みがちだった僕に担任の先生と保健室の先生はスクールカウンセリングを勧めてくれた。誰にも見聞きされないように配慮するからと。(あたりまえ体操

僕も、希望を見出すためにそれを受けた。

しかし、いざ始まると、グラウンドからは丸見え。廊下との仕切りもドア1枚。そもそも、誰にも言わないとか言ってるけど、絶対担任の先生とかに言うでしょ。(多分言わない、と信じてる)はじまってすぐに、信頼ができなくなって、適当に話をしてすぐに終わらせた。

こんな経験があり、そもそも無料なんだから大したものではないのではないかと思ってしまい、大学のものは辞めた。(きっと大学のカウンセリングルームはしっかりしていると思います。カウンセリングという行動自体が自分に合っているのか確認することも含め、学校のカウンセリングルームがある場合は行き、カウンセリング自体の自分との相性確認やカウンセラーが合わなかったら違うところを探すなどしても良いかもしれません。)

そうなると、病院ないしカウンセリングルームを使うしかない。

まずは地元。いや待て、地元なんて知り合いばっかりだ。

誰かに会ってしまったら何て説明すればいいんだ…親なんかに会ってしまったら…

地元はやめた。

そうなると残るは都内。

定期があるから交通費の心配はない。

問題は、受診料。

東京(東京じゃなくても?)ともなると50分〜1時間で8000円〜10000円。

基本的には毎週か隔週。

親にカウンセリングに行ってるなんて絶対言えないから自腹。

大学生には痛すぎる出費である。

しかし、背に腹は変えられない。

結局新宿御苑近くのカウンセリングルーム。

50分で8000円。基本隔週。

バイトはしていたものの、一ヶ月16000円の出費。

痛すぎる。しかし、これに縋るしかなかった。

C子ちゃんやN子ちゃんに相談すればいいじゃんと思われる方もいるだろう。今の僕も思っている。しかし、当時はカミングアウトしたからってなんでも相談できたかと言われたらそうではない。めちゃくちゃ申し訳ないのだ。

勝手にカミングアウトされてその上、面倒な相談もされる身にもなってみろと。

今思うと、なぜ親友を信じられなかったのかと喝を入れたい。

初めてのカウンセリングはそれはそれは緊張した。

やっぱり、カウンセリングに行くと言うことは何かしらの問題を抱えているというレッテルを貼られているように思えてしまって。行きながら、高いお金を払って話を聞いてもらうだけなんてと、自分が情けなくなり電車の中で行くのを後悔したりもした。

しかし、人に迷惑をかけたくない人間である僕はドタキャンせず時間の5分前に着いた。(えらい!)

カウンセラーの方は優しそうな女性の方で安心した。

多分男性だったら、カウンセリングが意味をなさなかったと思う。(軽いシス男性恐怖症だったし、意識しちゃうから)

自己紹介と軽い問診票(?)を書いたら早速何故カウンセリングに来たのかについて。

しかし、まだ自分のことを認めらてない僕は「ゲイ」と言う言葉はおろか「同性愛者」と言う言葉すら出てきません。というか、問診票には書いてたのに笑

知らない人、絶対他に漏らさない人だと分かっているが結局カミングアウトと同じわけで。結局10分くらいもじもじタイムになってしまい、なんとか汗ダラダラになりながら男の人が好きだと伝えることができました。

それが言えれば、あとはスラスラ出てきます。一通り悩んでいることを伝えたところで、50分が経ってしまいました。

お時間ですので…と言われ、お金を渡しその日は終わりました。

その日の帰りは、カウンセリングに行ったとは思えないほど沈んでいました。

何も解決していないのに8000円…

後々、カウンセリングは回を重ねて対話するものだと気づきますが、この時はもじもじタイムもあり、行きに感じていた情けなさがピークになってしまいました。

そして、裏にあった新宿御苑に気付きます。

映画監督の新海誠の映画に、新宿御苑を舞台とする映画があります。

その新宿御苑が都会のど真ん中にあるとは思えない静寂と緑に囲まれているのを思い出し、行ってみることにしました。ひとまず心を落ち着かせたかった。

国民公園であるため入場料を払い、入園。

すると、近くが大都市だとは思えない静かさ。しかし、開けたところに出るとかの有名な代々木のNTTビルが聳え立っている。

この非現実感と木々の緑、静かさが心を落ち着かせてくれました。

以降、カウンセリングに来る時は必ず立ち寄り、カウンセリングで得たものを整理する場として活躍します。

さて、カウンセリングも何回か繰り返し、徐々に多くの話し合いができるようになってきたある日、両親へのカミングアウトという話になりました。

 

セクシャルマイノリティの方々が最も高く感じる壁。それは親ではないでしょうか。

私も例に漏れず、親が一番の壁であり、一番乗り越えたい壁でした。(今も)

カウンセリングで親の話になり、僕は何も発することなく泣いてしまいました。

高校の病んでいる時も、親を悲しませてしまう。失望されてしまう。と悩みの大きな一つでした。

親に本当の僕を知って欲しい。理解して欲しい、認めて欲しいなんて贅沢は言わない。ただ、僕はこんな人間なんだよと知って欲しい。ただそれだけ。

(本当は、もちろん理解して欲しいし認めて欲しい。ただ、そういう気持ちでカミングアウトに臨んで、拒否されてしまった時に僕は心の芯から折れる自信があるから、期待せずに知ってもらうことを第一に考えている節はある。)

今でも、親のことを考えただけで泣けます笑

少し時系列がおかしくなるんですけど、最近就職活動で親とも相談する時に、特に父親が将来お嫁さんをもらって子供ができたら、うんぬんかんぬん…みたいな話をしてて、ただ僕はそれはまったく考慮しない就職活動をしていて。(何ならそういう風潮から逃げるように)

ただ、本当の自分を教えてないから、そこに建設的な議論ができなくてただ濁すだけみたいなことしかできなかった。

就活疲れもでてきて、もうこの際だから言ってしまおうかと、ほぼ自暴自棄にカミングアウトをしそうになった。

ただ、僕も少しだけ残っていたブレーキがなんとか作動して、C子ちゃんに相談することにした。(今はなんでも話せる大大大親友です。C子ちゃんの話はこのあと出てきます。)

C子ちゃんは、僕の現状を汲み取りつつ一緒にどうするのが最善か考えてくれました。結果的に今回は言わないでおこうと言う冷静な判断ができ、その場は収まりました。

と、このように親は多分僕のことは気づいていないのかなと思います。

少しでもその片鱗を感じていてくれたら、カミングアウトの衝撃も和らぐんですが、そうもいかなさそうだと感じています。

ただ、色々自分の中で解決していく中で親という最古にして最大の悩みが居座り続けています。

就職前にはなんとか伝えたいと思っていますが、まだその予定はありません。

 

命の恩人 C子ちゃん

カウンセリングも何回か続けていき、その場では解決したように思えていました。

実際、カウンセリングのあとは気分が良く、だだっ広い新宿御苑を2周くらい歩いちゃくこともありました。(?)

ただ、カウンセリングも大詰めになった頃、ふと今の自分を認めていることができているのかという原点に立ち返った時に、認めては…いなかった。認められていなかったのです。

もう回数もだいぶ重ね、出費もなかなかのものになってきた。

本当は完璧に悩みがなくなるまで続けるべきなのだろうけど、一回中断することにした。

ある日、大学が違うC子ちゃんと遊ぶことになった。

しかし、僕の中では遊びという名の相談会にしたかった。

それなら単刀直入に相談したいと言えばいいじゃないか!と思うだろう。

しかし、迷惑かな?という思いがどうしても拭えなかった。

当日は東京の大学に通っているCity Boyな僕が(?)お気に入りの新宿御苑などを案内しながらそれはそれは楽しく遊び回った。

そして空も暗くなり、北千住のとあるお好み焼き屋さんで夜ご飯を食べた。

本当は一日中「相談があるんだけど」と切り出したかったのだが、そんな勇気もなく夜になってしまい、ここしかない!と楽しくもんじゃを混ぜ混ぜしている時に切り出した。

すると、親友という身近な人に相談することができるという安心感からお店で泣き…そうになってしまった。(多分泣いた)これでは他の人から見たら、もんじゃの土手を作りながら、彼氏が彼女に泣きながら何かを訴えているという謎の構図が出来上がってしまい、まずいまずいと思いつつ涙を堪えながら高校のカミングアウトの時に言えなかったこと、大学生になって感じていること、自分に自信がないことなどを話した。お店を出てからは、近くの公園に行って、治安が悪い北千住だから気をつけないとねと話しながら、相談をした。

すると、外だからか僕も感情が抑えきれなくなり「ゲイ」という肩書きを背負い始めてから初めて大号泣してしまった。すると、彼女も一緒に泣いてくれた。これまた、側から見れば夜の公園で男女が号泣してたら、別れ話の最中かな?とか思われそうだが、その時はそんなことお構いなしに泣いた。

彼女は、僕が抱えているものを肩代わりしてくれるかのように話を聞いてくれた。一緒に考え、共感し、アドバイスをくれた。

初めて、他人に自分の悩みを洗いざらい話し、自分も泣いてたから冷静ではなかったかもしれないけど、自分の中で「ゲイである自分」を認めるきっかけになった出来事でした。

僕は彼女にまた救われた。

帰り、僕がゲイじゃなかったら絶対彼女に告白してるなぁと思った。でも、ゲイじゃなかったら、絶対に交わらない関係。こんな素晴らしい親友と出会えて、僕は初めてゲイで良かったと思った。

 

ホモソーシャルに揉まれる

さて、話は変わってアルバイトの話。

大学生になり僕は某焼肉店に勤めることにした。

理由は、高校の友人がいるから。そして家から近いから。

仕事は基本的に楽しかった。

しかし、そこはホモソーシャルホモフォビアが蔓延る最悪な環境だった。

まあ、一般的な男子の会話って片付けてしまえばそうだし、異常なのは僕なのだからそっちに話を合わせるしかないと思っていた。

ただ、精神的に超疲れるし、その空気に同調してしまっていることに強い嫌悪感を持っていた。

まあ、どういう空間か想像に難くないだろう。もう箇条書きにしちゃうんだから!?

・男たるもの女とヤらずして男と呼べるか!

・男なんだから裸の付き合いをしろ

・男なんだからキャバクラ・風俗の一つは経験しろ

・男たるもの下ネタで盛り上がらないなんてけしからん!

・飲み会にて「色がないから女呼ばね?」

・彼女がいないのは君に魅力がないから

・おまえ、もしかしてコッチ?笑笑

代表的なお言葉たちです。はぁ、。

箇条書きにしちゃうんだから!とか言いつつ書いてたら気分が沈みました笑笑

もし、気分を害されていたらすいません。ただ、このような環境で仕事をしているのです。最近は幾分落ち着きましたが、最盛期(?)はひどいものでした。

もう、賄いとか食べたくなかったですもん。

常に会話を合わせて、相手が不快にならないように気を遣ってて。

逃げ出したり、反論できたりすれば良かったのですが、この人たちの中で異常なのは僕なんだし、男はこういう話を通して絆を深めていくのだから、僕のような異常者が口出ししていい場所ではないと、ホモソーシャルを容認し僕を異常者と受け入れながら賄いを食べていました。

何度かやめたいを思いましたが、その環境以外は全て好条件だったのでやめずに続けています。

でも、このような環境にいたことが、一時期の不安定な時期の心に荒波を立たせていた要因となっていたのだと今は思います。

ホモソーシャルな空間はセクシャルマイノリティの人に限らず、さまざまな個性の男性を縛り強制させる、あってはならないものです。しかし、多くの男性がこのような「男にしかわからない絆」で友好関係を築いているのも事実です。実際にこの目で何度も見てきました。たまに、ホモソーシャルは容認せざるをえないのかなと思うこともあります。そのように思ってしまうことが悔しいと思います。これから社会に出るにあたり、私がいる環境ではそのような空気をなくしていきたいと思っています。(決意表明になってしまった。)

 

Drag Raceとの出会い

何かを観たくてNetflixに加入し偶然見つけたのがドラァグレースでした。何かというのも、この頃はLGBTについて知りたくて本屋さんでLGBT関連の書物を探したり(めちゃくちゃ緊張しました)サブスク系の動画でLGBTに関する映画やドキュメントを見てました。

僕は順当にSeason1から見始めた(Season11が最新シーズンの頃)のですが、これが面白い面白い。きっとゲイでなかったらまず出会わなかったでしょう。

最初はただの興味本位で見てましたが、だんだんそれぞれの境遇や環境など深い話を聞くようになり、共感できたり勉強になったり。

ドラァグレースは僕がゲイないしセクシャルマイノリティとして生きていく上での重要な教材となりました。

ドラァグレースの話は次の回でもお話しします!

 

男性へのカミングアウト

長くなり申し訳ないです。これが最後の章です。

さて、実は今日に至るまでにC子ちゃんN子ちゃんの他に3人の女の子と1人の男性にカミングアウトをしています。女の子3人はすぐに受け入れてくれました。(言うのには時間はかかったけど)

今回は1人の男性へのカミングアウトについてです。

僕の中では、というかゲイあるあるだと思うのですが、男の人にはまずカミングアウトはできないです。

理由は皆さんもお察しの通り、理解がなさそう・拒絶されそう・気持ち悪がられそう・すぐ周りに言いふらしそう・俺のことそういう目で見てたの?とか言うやついそう。など様々な同性であるが故の問題も含め多くの問題がまとわり付きます。

高校では男性というもの自体が苦手になってしまったということもあり、まず男性にはカミングアウトしないだろうと思っていました。

そんな時、現れた1人の青年。というほど不意に現れたわけでもないが。

彼は中学校から同じ学校で生徒会も一緒、高校も同じ、そしてバイトも一緒という、なんだかんだ長い付き合いの子がいました。

彼とは、お互い親友ではないよねーとか言っちゃう仲で、絶妙な距離感にいる間柄。しかし、その距離感が心地よく、よく遊んだり飲んだり、2人で旅行に行くような仲でした。

そんな彼に初めて、男性にカミングアウトしたい。という思いが芽生えました。

こんなに仲がいいのに偽っている自分で接するのが辛くなってきたのです。

しかし、この判断も容易なものではありませんでした。

彼の性格上、現実主義なところがあるので、それじゃ社会に出て不利益だよとか言われそう。とかそもそも同性愛を認めてないのでは。とか、勝手に色々な想像をしていました。

ただ、それまでカミングアウトしてきた人は百発百中で成功していたので、謎の自信があり言おうと決断します。

そして、夜まで遊んで、最後帰りながらのドライブで言おうと決意しました。(また車の中…)

しかし、まぁ分かってはいたけどいざとなると言えない。それはそれは言えない。男性だから余計に言えない。数時間前まではめちゃくちゃポジティブだったのに、もう断られる未来しか考えられない。

結局もっと話そうよーとか言って3.4時間ドライブしたり休憩したりしました。(普段からダルダルドライブはやるので、そこまで違和感なくやってました)

しかし、言えず空は明るくなり始めました。

ああ、こんだけ振り回して今日は言えないか。と思ったのですが、ここで言うしかない!と深夜テンションも重なり、言いたいことがある。とだけ言いました。

もう逃げられません!

彼は、それからずっと待っていましたが、それでもウジウジしている僕に、「留年?」とか「彼女?」とか色々探りを入れてきます。しかし、言えず。

そして、彼から「まさかホモとかじゃないよね?」と言われ、咄嗟に「そう!それ!」と反射的に言ってしまいました。今思い出しても、「まさか」「ホモ」「じゃないよね?」と傷つきそうな言葉しか言われてませんが(笑)、その時はそれに便乗できたのでよしとしました。そのあと、軽い説明をし既に朝の5時を回っていたのでなあなあになり解散になりました。最後まで相手がどういう感情なのかずっとひやひやしていました。しかし、帰るや否や、”カンタービレ”はそのままでいいと思うよ、と言ってくれて、ほっとしたのを覚えています。あとで、ホモはなるべく言わないほうがいいけど当事者間では蔑称としてではなく使われているなど、彼の知識をアップデートさせていただきました。笑

しかし、彼も自分の意見は曲げない人間であり、もとより同性婚は賛成でないと話の中で出たことがあります。正直、びっくり!よりかはそんな気はしたって感じでしたが。

理由を聞いてみると、同性婚を認めると少子化が進むからだそうです。同性愛者でないヘテロの人も友人の延長で結婚してしまい、生まれる可能性がある命も生まれないのでは。そして、その少子化が日本を衰退させる。だそうです。日本の未来を考えていてすごいね!と最低限褒めつつ、でも全く意味がわからなく、正直に意味わからないと言いました。彼は建設的な会話をしてくれるので、話し合いをしましたがちょっと僕がきれそうだったので少し話したらやめました笑。まぁ、あまり個人の意見に首を突っ込みたくない人間なので、あなたの意見も大事な意見と思いつつ、その意味のわからなさに首を傾げるものです。ヘテロの人は恋愛感情がないのに結婚するの?僕はどんなに仲がいい女の子での絶対結婚しないし(できないし)、そもそも結婚という選択肢が1mmもないのになぁと疑問しかないです。これが、「普通」に結婚できる人が考えることのできる特権なのでしょうか。(皮肉でした笑)

と少し愚痴を書いてしまいましたが、今でも大事な大事な友人です。彼が本当の僕を知り受け入れてくれたことは、僕がゲイであることに自信を持てるきっかけの1つです。

 

 

以上、大学生編でした。

4年間もあり、さすがに色々ありました。(今もだけど)

また長くなってしまい申し訳ないです。そしてありがとうございます。

これまで過去の話を書いてきまして、僕も改めて振り返る機会になりました。

ゲイであることに気づき、悩みに悩み、死の一歩手前を経験した。でも、その分周りの人たち、友人・親友に言葉にできないほど恵まれていることも再認識できました。

ゲイであることを認識してから今まで、多くの方々のブログや体験談に救われました。ただ僕の人生を書いただけのこのブログが誰かのお役に立てるかはわからないですが、あなたは1人ではないということはまず一番にお伝えしたいです。

次回、最終回。

僕のこれからのこと、LGBTQ+コミュニティやその他多様なマイノリティにおける僕の認識や考え。様々な差別やホモソーシャルといった環境について。

普段は、すこし難しく触れ難い内容をこの機会に書きたいと思います。

誰かと真面目な話(それこそLGBTや政治、差別問題など)をすることはその場の空気を壊してしまうのではないかとか色々考えてしまい、話すことが少ない僕ですが色々考えている人間なので、ぜひ真面目な話も共感や考えるきっかけになってくれたら嬉しいです。

本当に長い長いブログを読んでくださりありがとうございました!